なぜタダでモノを作るのか?

 8月13日に某イベントへ行き、終了後打ち上げで同人ゲームソフト仲間の方々と飲み会をしたのですが、参加者の何人かはプロとして市販品や同人ゲームを作って日々の糧を得ていました。
私などは、ゲームで過去に少々お小遣い程度の金銭を稼いだ程度で、現在はフリーのソフトを手伝ったりしている程度です。
 飲み会ではいろいろ同人ゲームでメシを食っていく苦労とか素晴らしさとか、ゲームソフト会社でプロとして活動する話を興味深く聞いていたのですが、そんな話を基に、ぼんやりと最近考えていたことなどを文章に書いてみることにします。 話がヘンテコだったり、わけが分からなかったり、間違っている部分があると思いますが、軽く流してください。
  
 最近読んだアルビン&ハイジ・トフラー氏の「富の未来」という本によると、私のような金銭が主たる目的でない趣味による活動をしている者を生産消費者という定義をしています。 生産消費というのは、クッキーを焼いて余ったのを近所に配ったり、日曜大工で椅子を作ったり、ブログで日記を公開したりとかいうのも範疇に入ります。 スケールが大きくなるとリナックスとかネットハックの開発も生産消費活動に入るでしょう。 つまり生産消費というのは我々が日々日常的に行っている(直接的には)金銭が絡まない活動です。
  
 現在、我々は世界の活動はお金で動いている認識を持っていますが、(働いて賃金を貰い、銀行からお金を下ろし、食糧を買い、家賃を払い、電気代を払い、株価が上下し、・・・・)実際には生産消費活動というものが金銭経済を支えていて、統計には表れない、巨大な非金銭経済というものが存在しているというのが「富の未来」の見方です。
この場合の「富」という言葉は金銭だけでなく、生産消費活動を含む言葉になります。 たとえば、「富」は「健康」だったり、「友人」だったり、「家族」だったり、「技術」だったりします。 (病気の人が健康を金銭で賄おうとすると非常に大きなコストが発生します。 医者代、薬代、病院への交通費、診断をするために会社を休む・・・・つまり健康な人は、病気の人に比べ金銭的にもコストが低くなります。 つまり健康自体が目に見えない財産なのです)
  
 話は戻って、ゲームの話です。 ご存知のとおり、私はフリーでドット絵の素材を提供しています。 同人で素材を提供してお金をもらってもいいわけですし、場合によってはそうすることもありえますが、なぜドット絵を描いてフリーで公開するのかと申しますと、最終的には私はゲームを作って公開するのが目的なわけです。
生活の糧を社会人として会社に勤務し、本業で稼いでいる私としては、副業としてゲームを作ってお金を稼ぐことは本来の目的ではない。 (そりゃ、お金をもらえれば貰えればうれしいですが) たとえば、「一億円あったら何をする」なんて質問があったら「ゲームを作る」と答えるわけです。 (もちろん新しいパソコンを買うとか、家を建てるとかいう答えもアリです)


 それならば、よく考えると何もお金がなくても「ゲームを作る」という目的は達成できるわけです。 フリーの素材を提供することで。


 フリーであることで、つまり生産消費物であるがゆえに、タダでドット絵という素材がゲームに使われ、目的を達成する手段となりえるわけです。 もちろん目的を達成するためには、他の生産消費者を納得させる質と量と魅力が必要とされます。 そして、一人で作るわけではないので完成するゲームは自分が思い描くゲームではないかもしれません。
  
 が、自分が思い描くゲームを作ることは、お金が絡んでも難しいわけです。 否、お金が絡むとなおさら目的の達成は困難になりえます。 コストが黒字になる必要性がありますから、ニーズに合うゲーム、時代の流れにあったゲーム、売れるゲームにしていく必要性があります。 ・・・自分の思い描くゲームと離れていく可能性が高くなります。
   
 音楽やゲーム、ドット絵といった情報は、物ではないので使っても減ることがありません。 何人使ってもなくなることがないのです。 しかもインターネットというものによって容易に複数の人間が情報を共有化して改変改良を加えて再びインターネットに流すことが可能です。 このような形のなく共有化が容易な情報を取り扱うためには、今までの金銭経済の方法では難しいようです。 生産消費者の非金銭経済の力を認識し、新しい方法を模索していく必要があるようです。